こころの家族のあゆみ

社会福祉法人こころの家族は1988年、老人ホーム「故郷の家」の運営母体として発足した。そのルーツは韓国にある。

はじまりは韓国木浦、児童養護施設「共生園」

1人のキリスト教伝道師が、身寄りのない7人のこどもたちを連れて帰り、木浦の片隅でともに暮らし始めたのは 1928年10月5日。
人々が親しみを込めて乞食大将と呼んだこの男が尹致浩(ユン・チホ)。
児童養護施設・共生園の始まりである。
一方、高知市若松町に生まれた田内千鶴子は、7歳の時に両親と共に韓国西南端の全羅南道木浦市に渡った。
父は朝鮮総督府の役人、母は熱心なキリスト教徒の助産婦であった。
千鶴子は優秀な成績で木浦高等女学校を卒業後、音楽教師となり、また教会のオルガニストとして奉仕活動を始めるようになった。
こうして、二人は出会い、やがて1938年10月15日、周囲の反対を押し切って結婚する。

1945年8月に日本が敗戦、韓国が独立すると千鶴子は日本に帰らざるを得なくなった母親と離ればなれになった。

周囲では日本語も禁止され、尹致浩は日本人妻を持つというだけで迫害された。
だが、暴徒が押しかけてきたとき、守ってくれたのは「僕たちのお父さん、お母さんに手を出すな!」と泣きながら抗議した園児たちだった。

苦難の中で結びつきはより深まり、次第に共生園は村人たちにも認められるところとなった。

だが、1950年、韓国動乱が勃発、混乱のさなかで尹致浩が消息不明となる。

子ども達の食料調達に出かけたまま帰って来なかったのだ。
以来、共生園は千鶴子ひとりの手に委ねられることとなる。
孤児が増える一方の時代、しかも日本人女性として、それは想像を絶する苦難の道であったはずだが、千鶴子は弱音を吐かず、事業を続けた。

韓国語を話し、チマチョゴリを着て、孤児たちのオモニとして、生きた。

千鶴子の偉業はやがて広く認められるようになり、1963年には日本人として初めて、韓国政府から勲章が与えられた。

1964年、募金のために日本を訪問した折には、岸信介元首相から励ましを受けた。
日本で「田内千鶴子さんとその事業を励ます会」(会長に植村甲五郎氏)も発足した。

だが、その数年後、千鶴子は病に倒れる。
そして多くの人々の回復の祈りもむなしく、1968年10月31日、57歳の誕生日でもあったその日、千鶴子は生涯を閉じた。
11月2日には木浦市初の市民葬が行われた。
木浦駅前に3万人の市民が集まり、新聞は「木浦が泣いた」と報じた。

「うめぼしが食べたい」
死の直前、もうろうとした意識の中で千鶴子が尹基にもらしたひとことは「うめぼしが食べたい」であった。
それまで韓国語しか話さず、孤児達の母として気丈にふるまっていた母がひとりの日本人女性にもどっているのを尹基は感じ、衝撃を受けた。この経験が、のちの「故郷の家」作りの原動力となっている。

尹致浩・田内千鶴子を両親に持ち、社会福祉を学んだソーシャルワーカー・尹基(田内基)は千鶴子の死後、共生園の園長となった。
それだけではなく、日本と韓国を舞台に福祉の世界に新風を吹き込み、それまでなかった事業を始めた。
そのひとつが「共生」を理念に掲げ、日韓の人々のふるさととなる「故郷の家」の創設である。

「故郷の家」のはじまり

  • 1971年 共生園の子どもたちで結成された「水仙花合唱団」が尹基とともにはじめて来日。日本各地に歌声を届け、日韓親善に尽くした。この時に尹基は大阪の博愛社で福田文枝。 (現・こころの家族総括理事)と出会い、翌年結婚する
  • 1982年 尹基が東京に 「共生福祉財団 東京事務所」を開設。「海外児童こころの家族」運動を展開。
  • 1984年6月 尹基が朝日新聞「論壇」に投稿した文章が注目を浴びる。

この頃、尹基は新聞報道で在日コリアンの高齢者の孤独死が相次いでいることを知り、胸を痛める。
一人は死後13日経って発見されたという。
孤独の中で死んでいった老人たちは何を思っただろう。
母・田内千鶴子が重い病に倒れ、意識がもうろうとなった時に日本語で「うめぼしが食べたい」とつぶやいたように、韓国語で「キムチが食べたい」と言ったかもしれない。
「在日韓国老人のためのホーム建設を」「故国に近い様式で生活させたい」──そう訴えた。
投稿は大きな反響を呼んだ。
賛同者が次々に現れ、力になりたいと協力を申し出る人々が相次いだ。

  • 1984年 尹基著「母よ、そして我が子らへ」出版。田内千鶴子の生涯を描いたこの本の出版記念会の席上で尹基は在日韓国老人ホームの建設を訴えかけた。
  • 1985年2月 尹基の呼びかけに賛同した日本の財界、文化界、教育界、福祉界など451人が発起人となり、「在日韓国老人ホームを作る会」発足。初代会長は元駐韓日本大使の金山政英氏。
  • 1987年 大阪府堺市に在日韓国老人ホームの用地取得。募金運動も本格的に開始。俳優の菅原文太さんは募金委員長を引き受けてくれた。
  • 1988年9月 社会福祉法人「こころの家族」認可。理事長に尹基。
  • 1989年10月 在日韓国老人ホーム「故郷の家」竣工。
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映画「愛の黙示録」誕生、故郷の家の充実

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  • 1992年2月 日本テレビの番組「知ってるつもり?」で田内千鶴子の生涯が紹介され、これを見て感動した人々から映画化を勧められる。
  • 1993年8月 田内千鶴子の生涯の映画化を発表。
  • 1994年6月 在日コリアンが多いことで知られる大阪市生野区に「故郷の家デイサービスセンター」が竣工。大阪市の要請を受けたもの。
  • 1994年8月 主演の石田えり、監督の金洙容氏、脚本の中島丈博氏らが一堂に会して映画の制作発表、木浦でクランクイン。原作は尹基著「母よ、そして我が子らへ」。タイトルは「愛の黙示録」
  • 1995年9月 日韓合同劇映画「愛の黙示録」完成。故郷の家で試写会が行われた後、各地で上映され、感動を呼ぶ。
  • 厚生大臣賞、児童福祉文化賞(96年)、山路ふみ子福祉賞(97年)など数々の賞も受賞。
  • 1996年4月 「故郷の家」の増床工事完成。
  • 1997年10月 高知に田内千鶴子記念碑建立。除幕式には韓国から共生園児101名を含む250名が来訪した。
  • 1998年11月 こころの家族10周年を祝う。
  • 1999年「愛の黙示録」が日本大衆文化の解禁1号として、韓国で上映される。
  • 2001年2月 「故郷の家・神戸」竣工。映画「愛の黙示録」を見て感動した神戸市の定時制高校(湊川高校)に通うハルモニたちが堺の故郷の家を訪問して感動。「神戸にもこんな老人ホームがほしい!」と強く願ったことがきっかけで実現したホームだった。
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  • 2006年6月 尹基理事長が韓国のノーベル賞といわれる湖巖(ホアム)賞受賞
  • 2006年11月 三ツ星ベルトより福祉センター(体育館)の寄贈を受ける。
  • 2007年3月 故郷の家・京都支援の会が発足。
  • 2008年9月 法人こころの家族設立20周年記念コンサート開催(パク・インスと音楽の友達)
  • 2008年10月 日韓ビッグ対談(日野原重明・李御寧)開催
  • 2009年4月 故郷の家・京都竣工。故郷の家では初めてのユニットケア。ケアハウス併設。
  • 2010年10月 尹基理事長に第2回「自由都市・堺 平和貢献賞」大賞
  • 2012年4月 「南第2地域包括支援センター」受託運営(堺)

日韓の架け橋に、そしてさらなる高みへ

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  • 2012年5月 日本と韓国で田内千鶴子生誕100周年記念事業会が発足。
    10月 木浦で国連「世界孤児の日」制定推進大会開催。
  • 2013年9月 「平和貢献フォーラム堺」開催
  • 2013年12月 こころの家族25周年・東日本大震災復興支援事業として木浦市立舞踊団公演。
  • 2015年3月 こころの家族協力で日韓国交正常化50周年記念「白建宇ピアノリサイタル」サントリーホールにて開催
  • 2016年6月 共生福祉財団(社会福祉法人木浦共生園から1977年に改名)が「尹鶴子共生財団」に名称変更
  • 2016年7月 田内千鶴子記念音楽会青開催。光州女性フィルなど出演(サントリーホール)
  • 2016年10月 特別養護老人ホーム「故郷の家・東京」竣工
    田内千鶴子が縁となり、交流を続けてきた高知県と全羅南道が姉妹血縁締結
  • 2017年11月 故郷の家・東京開設1周年記念「金星煥チャリティーコンサート」開催
  • 2018年9月 こころの家族30周年記念感謝の集い、シンポジウム「全羅道1000年 日韓文化をつなぐ」開催
  • 2018年10月 国連「世界孤児の日」制定請願「ニュ―ヨーク世界大会」開催。
  • 2019年11月 「平和と祈りの庭」鍬入れ式を挙行。
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年譜

■はじまり〜1970年代

1928年10月 キリスト教伝道師・尹致浩が7人の孤児達とともに生活を始めた(後の「共生園」のはじまり)
1938年10月 尹致浩と田内千鶴子が結婚。
1950年 韓国動乱が勃発。この混乱の中で尹致浩が行方不明に。千鶴子は一人で共生園を運営。
1963年08月 田内千鶴子に日本人として初めて、韓国政府から勲章が授与される。
1964年10月 日本で「田内千鶴子さんとその事業を励ます会」(会長に植村甲五郎氏)発足。
1968年10月 田内千鶴子逝去。享年57歳。
1971年06月 日本航空株式会社が共生園に児童宿舎「ジャルハウス」を寄贈。
1971年06月 共生園の子どもたちで結成された「水仙花合唱団」が尹基とともにはじめて来日。
1972年04月 尹基と、博愛社生活指導員だった福田文枝が結婚。
1975年10月 共生園に児童宿舎「大阪愛の家」と「大一食堂」が寄贈される。

■1980年代

1982年04月 尹基が東京に 「共生福祉財団 東京事務所」を開設。
1984年06月 尹基が朝日新聞「論壇」に投稿した文章が注目を浴びる。
1984年 尹基著「母よ、そして我が子らへ」(映画「愛の黙示録」の原作)出版。
1985年02月 「在日韓国老人ホームを作る会」発足。初代会長は元駐韓日本大使の金山政英氏。
1987年 大阪府堺市に在日韓国老人ホームの用地取得。
1988年09月 社会福祉法人「こころの家族」認可。理事長に尹基。
1989年10月 在日韓国老人ホーム「故郷の家」竣工。

■1990年代

1992年02月 日本テレビの番組「知ってるつもり?」で田内千鶴子の生涯が紹介される。
1992年08月 第1回国際社会福祉研修。
1993年08月 田内千鶴子の生涯の映画化を発表。
1993年11月 第1回コリアンデイ(創立記念式典から発展。その後、「コリアジャパンデイ」に)開催。
1994年06月 大阪市生野区に「故郷の家デイサービスセンター」竣工。
1994年08月 映画「愛の黙示録」、クランクイン。
1995年09月 日韓合同劇映画「愛の黙示録」完成。
1996年04月 故郷の家の増築完成。デイサービス開始。
1997年10月 高知に田内千鶴子記念碑建立。除幕式には韓国から共生園児101名を含む250名が来訪。
1998年11月 こころの家族10周年を祝う。
1999年 「愛の黙示録」が日本大衆文化の解禁1号として、韓国で上映される。

■2000年代

2001年02月「故郷の家・神戸」竣工。
2003年共生園の庭に尹致浩と千鶴子の胸像が建立される。
2003年11月第1回日韓こころの交流シンポジウム開催。
2005年11月ユ・ヨルチャリティコンサート開催。
2006年05月故郷の家・神戸5周年記念コンサート開催。
2006年06月尹基理事長が韓国のノーベル賞といわれる湖巖(ホアム)賞受賞
2006年11月三ツ星ベルトより福祉センター(体育館)の寄贈を受ける。
2007年03月故郷の家・京都支援の会設立
2008年09月法人こころの家族設立20周年記念コンサート開催(パク・インスと音楽の友達)
2008年10月小渕恵三元総理夫人の小渕千鶴子さんが共生園を訪問。
2008年10月日韓ビッグ対談(日野原重明・李御寧)開催
2009年04月「故郷の家・京都」竣工。故郷の家では初めてのユニットケア。ケアハウス併設。

■2010年代〜

2010年10月尹基理事長に第2回「自由都市・堺 平和貢献賞」大賞
2012年04月「南第2地域包括支援センター」受託運営(堺)
2012年10月田内千鶴子生誕100周年記念事業会が発足。
2012年10月「国連『世界孤児の日』」制定推進大会を開催。
2013年09月「平和貢献フォーラム堺」開催。
2015年03月日韓国交正常化50周年記念白建宇ピアノリサイタル開催(サントリーホール)
2016年07月「3ソプラノと光州女性フィルハーモニックオーケストラによる田内千鶴子記念音楽会」開催(サントリーホール)
2016年10月高知県と全羅南道が姉妹血縁締結。
2016年10月「故郷の家・東京」誕生。
2017年06月二階俊博自民党幹事長(当時)一行が共生園を訪問。
2017年11月故郷の家・東京1周年で金星煥チャリティコンサート開催。
2018年09月こころの家族30周年記念感謝の集い、シンポジウム「全羅道1000年 日韓文化をつなぐ」開催
2018年10月国連「世界孤児の日」制定請願「ニュ―ヨーク世界大会」開催。
2019年01月尹基理事長がアフリカのマラウイ共和国訪問。
2019年10月木浦で尹致浩生誕110周年記念追悼会開催。
2019年11月故郷の家30周年を祝う。「平和と祈りの庭」鍬入れ式挙行。
2021年11月尹基理事長が日韓フォーラム賞受賞。
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