日本での体験を母国で役立てたい!
ベトナムからやってきた元気いっぱいの6人
「国境・民族・文化を越えて共に生きる心豊かな社会の構築に寄与する」ことを理念の1つとしている当法人が運営する故郷の家では、創設時から韓国人職員が常勤し、今では多国籍の外国人職員が働いています。今回は、特定技能外国人として昨年から故郷の家・京都で働いている6人に来日のきっかけなどの話を聞きました。 20歳代~30歳代の6人は母国ベトナムで日本語を勉強し「技能実習生」として来日。長野県や福岡県、奈良県などの介護施設や病院で介護業務を3年間経験し「特定技能職員」として入職しました。医師や看護師の資格を持つ方もおられ、日本語も上手で活発。笑顔が絶えない6人は施設を明るくしています。「気配りができて、今では様々な仕事を任せられ頼もしい限り」と、藤原一臣施設長もその働きぶりに太鼓判。春頃にはさらに5名のベトナム人職員を迎える予定です。
左からラム・ティ・キム・トアさん、ダオ・チュン・ミンさん、グエン・スアン・トゥアンさん、グエン・バン・ナムさん、フン・ティ・タイン・スアンさん、グエン・ティ・ハオさん
日本のアニメから興味を持ち始めて
スアン 日本に来たきっかけは、日本の介護を勉強したいと思ったからです。ベトナムも高齢社会になっているので介護の勉強をしたいと思いました。
ベトナムで日本語を勉強しようと思うようになったのは日本のアニメです。「ドラえもん」や「クレヨンしんちゃん」などアニメが大好きでよく見ていて日本語に興味を持ち始めました。
──ベトナムも高齢化社会になっているのですか
スアン 今はなりつつある、というところです。20年後は完全に高齢化社会になると思います。
──日本に来た印象はどうでしたか
スアン ビックリしました。涼しくて! 夏に来日しましたが、ベトナムより涼しく感じました。日本人が親切なことにも驚きました。
ハオ 私は元々看護の勉強をしていて看護学校を卒業後、病院で実習をしていました。ベトナムでは今、平均寿命は70歳です。ベトナムでは介護施設も少なく、日本で勉強して帰国したら、看護と介護の仕事の役に立つと思い来日しました。日本にはどういう高齢者がいるかも知りたかった。ベトナムの若い人たちもだんだん結婚しなくなり、子どもも減ってきて、そのうち現在の日本みたいになると思います。
──日本に来て驚いたことはありますか
ハオ 車がたくさんなこと。ベトナムはみなバイクに乗っています。でも、何年か経ったらベトナムも車社会になると思います。
──トゥアンさんは夢があって日本に来られたと聞いています
トゥアン 私はベトナムで高齢者施設など自分の施設を作りたいと思っています。日本で介護の仕事や、施設の環境などを実際に見てみたいと、日本での仕事を選びました。
──ベトナムではどのような仕事をしていましたか
トゥアン 看護の専門学校を卒業し、病院で仕事をしていました。夜勤が多く自分に合っていないと思ったりもしていました。
──日本の印象はいかがでしたか
トゥアン 日本人は高齢者も仕事していて驚きました。シルバーヘアの人も仕事をしている。ベトナムでは高齢の人はあまり働いていません。ベトナムも定年は65歳。女性は55歳です。退職年金制度があるので、退職後はあまり働いていません。
やがて高齢社会になる母国のために
トア 私が日本に来たきっかけは日本が好きだし、ベトナムもこれから高齢社会になるので、日本で体験したことを母国に持ち帰り、国に何か貢献したいと思ったからです。家族のためもあります。また、日本の文化も知りたかったこともあります。富士山を一度見たかった。
──富士山を見ることはできましたか
トア 故郷の家での仕事が決まる前に静岡の施設で3年間研修しました。たまたま派遣されたところが静岡だったのです。お陰で富士山を見る夢が叶いました。とってもきれいでした。ただ、見ただけで登ったことがなくて。
──ベトナムでは何の仕事をしていましたか
トア 工場のアルバイトをしていました。韓国にも3年間住んでいました。
──え? では韓国語も話せますか
トア しばらく使っていないから忘れています。でも今はユニットの夜勤を1人で任されることもあります。
ナム 私はナムと申します。日本に来た理由は介護の知識と技術を得ようと思ったからです。
私はベトナムでドクターの資格を持っていて病院で働いていました。病院勤務時は、外科、一般診療総合診療、往診、手術など忙しかったです。1番長く在籍したのは産婦人科でした。
──医師の資格を持ちながら、なぜ日本で介護の勉強をしようと思われたのですか
ナム 私はベトナムの南部に住んでいて、そこに大学院があります。将来は介護学部が創設される予定です。大学教授から「日本で介護の技術と勉強をしてきてください。それを介護学部の学生たちに教えてください」と、言われ決意しました。日本の介護技術のレベルはベトナムより優れています。ドイツやオーストラリアなどもレベルが高かったのですが、日本とベトナムは近くて国交があり、日本を選びました。
日本人のあいまいさに驚き
──日本に来た印象はどうですか
ナム 日本人の表現は理解するのが難しい。文化の違いにびっくりしました。例えば、コンビニなどで「袋要りますか?」と聞かれて「いいですよ」と返事する人が多くいます。これでは要るのか要らないのか分からない。相手を傷つけないようにという配慮はわかりますが、ベトナム人は「良い・悪い」「要る・要らない」はハッキリ言います。それはちょっと驚きでした。
──ナムさんは、日本で勉強し帰国後は大学院で指導者に?
ナム まだ予定ですが、私の街に老人施設が建設されることになっていて、そこで仕事をしながら教えてください、と言われています。日本で介護の資格を取得して自分でグループホームを作るのもいいと思っています。今は経験と技術を勉強する良い機会です。
──ミンさんはどのようなきっかけで日本にきましたか
ミン ベトナムで介護施設が少ない。それなら日本に来て介護の勉強をしたいと思いました。ベトナムで2年間、看護師の仕事をしていました。ベトナムの看護師の資格を持っていますが、高齢者施設が少ないな、と感じていたのも来日の理由の1つです。
──病院ではどの科で勤務されていましたか
ミン 救急外来で仕事をしていました。あまりにも忙しくて母から「大変だからもう辞めてください」と頼まれました。
外国籍の職員が多いので心強い
──故郷の家で働き始めて感じたことはありますか
スアン 私は今、2階の介護職員として働いていますが以前いた施設とは、やり方も違います。故郷の家で働いていてうれしいことは、韓国人やフィリピンの職員さんが居て、ほかの外国から来た職員さんたちと思いを共有できること。以前はほかの職員やご利用者から「ベトナム人だから、できへん」と決めつけられることも多かったのですが、仲間がいることはとても心強いです。
ハオ 前に研修していたところはグループホームだったから、こちらとは全然雰囲気違う。故郷の家のご利用者はみなさんしっかりされててビックリ。これも嬉しい。しっかり勉強できます。ご利用者さんから「ベトナムでは、これは何というの?」など聞かれて母国語を教えられることもうれしいです。ご利用者との交流が今は楽しいです。
──これからの目標はありますか
ナム 日本の介護福祉士の資格取得です。試験では、専門用語に加えて高齢者とのコミュニケーションが取れる日本語が必要で、ハードルが高い。頑張ります。
*特定技能職員の場合、5年間日本で働くことができ、この間に介護福祉士の国家資格を取得できれば介護ビザは発行され、以後も日本で働き続けることができます。